トラジャその日その日1976/78──人類学者の調査日記

山下晋司さんが1976年9月から78年1月までの間にインドネシア・スラウェシ島のトラジャで行った、フィールドワークの貴重な記録を公開します。

第4回 トラジャ入りして2ヶ月、観光、3ヶ月ぶりのウジュンパンダン 1976.11.8〜12.13

11月8日

 トラジャに来て2ヶ月余。疲れが下痢に出て、体中を下っていくという感じ。一体ここに何をしに来たのか。これまで個別のデータ収集に振り回されてきたような気がする。トラジャの人々にとって(また、自分にとっても)「生きる」とはどういうことか。もっと大きな問いを検証してみたい。

 

11月10日

 ようやく疲れもとれ、下痢もおさまった。フィールドノートの整理。儀礼の観察は近視眼的になるので、欲求不満がたまる。儀礼を追っかけることから少し距離を置いてみると、展望が開けてくるかもしれない。遠くから見ないと見えるものも見えないだろう。木を見て森を見ずの喩えだ。3回目のトラジャ語のレッスンで、小学校教師のトゥングル・フランツがやって来る。

 

11月12日

 昨日は大通りから少し入ったところにあるパンロレアンのネ・オドの葬式を見学した。9月に97歳で亡くなり、遺体は屋内に安置されていた(写真1)。今日は儀礼は休みということで、こちらも休日を決め込む。「異邦人」として暮らさなければならなくなっている自分に気づく。「現地人になれ」と人類学は教えるのだが、私は日本人でしかない。現地の人もそう思っているだろう。私はミナンガの「ト・ニッポン」(日本人)なのだ。

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写真1 屋内に安置された遺体。

さまざまな布がかけられ、その上に剣 (gayang) が置かれている

 

11月18日

 久しぶりにマカレに出る。県庁の農業課で水田関係のデータを取る。帰りに市場に寄って買い物。妻がこのところ体調が悪く、私が炊事をする。今日は昨日の葬式でもらった水牛の肉でビーフシチューを作った。なかなかの味で、我ながら満足。

 

11月19日

 具合が悪いのは妊娠のせいではないかと妻が言うので、マカレの病院に行く。そこで偶然、ウジュンパンダンで会った医師ハッサン・アヌスさんに会った。彼の妹がマカレの病院に勤めているというのだ。ただ、マカレでは検査ができないということで、後日ランテパオの病院に行くことにしてミナンガに帰る。午後は近くのバトゥ・キラというところにある県知事の別宅に行き、4回目のトラジャ語のレッスンを受ける。ミナンガに戻ると、京都大学の坪内良博さんが予告なしに来ていた。坪内さんは京都大学東南アジア研究センタージャカルタ事務所に駐在しており、私がジャカルタにいた頃大変お世話になった方である。同僚の前田(立本)成文さんのフィールドを見るためにスラウェシに来たついでにトラジャまで足を延ばしたのだという。滞在は3日間の予定で、この際一緒にトラジャ観光することにした。

 

11月21日

 昨日は坪内さんとトラジャを見て回った。レモ(マカレ郡)の壁龕墓(リアン)(写真2)、ロンダ(サンガランギ郡)のリアン(註1)、ケテ・ケス(サンガランギ郡)の「伝統的集落」(写真3)と回り、ランテパオの中華料理店で食事。午後はパラワの住居と米倉(写真4)、サダン織りの工房(写真5)、ロコ・マタ(写真6)などセセアン郡を回る。パンガラ(リンディンガロ郡)への山道から見える棚田は素晴らしい(写真7)。夜はサンガラ郡マクラの温泉に泊まった。マクラとはトラジャ語で「熱い」という意味で温泉が出る。日本統治時代にはここに療養所が作られていた。今朝は先日葬儀が行われたサンガラ王族の巨石広場やスアヤのリアンを見た。坪内さんもあちこちで写真を撮り、これから棚田を研究しようと思っていると言う。棚田は生態学的に平地と山地の接点だから面白いというのである。アッサムのアンガミ・ナガ、インドネシアのバリ、フィリピンのイフガオなどに発達した棚田が見られる。トラジャも棚田文化圏だ。自然と文化の面白い均衡。これは大切にしたい着眼点だ。

註1 第1回写真5参照

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写真2 レモの壁龕墓(リアン)と観光客

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写真3 ケテ・ケスの集落景観

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写真4 パラワの住居(左列)と米倉(右列)

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写真5 サダン織り。縞模様が特徴的

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写真6 ロコ・マタ。大きな岩にリアンが掘られ、岩全体が墓になっている

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写真7 山腹に開かれた棚田

 

11月22日

 坪内さんは風のように来て風のように去り、私たちは日常の活動に戻った。隣村カンドーラのテガンで葬式があると聞いたので行ってみたが、明後日からだとのことで、カンプン・ティノリンのキリスト教徒の葬儀を見た。帰りに1時間くらいかけて、ブントゥ・ティノリンを越えブントゥ・タンティを通ってミナンガに抜ける道を歩いた。石で舗装され、防塁が築かれている(写真8)。ブントゥ・タンティの岩壁にはリアンが掘られている(写真9)。妻の調子はまだ悪く、私が炊事をした。妻をいたわってやるべきだが、その余裕がなくケンカして私一人で食事した。

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写真8 ブントゥ・タンティの石の道と防塁

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写真9 ブントゥ・タンティ。岩肌にリアンが掘られている

 

11月23日

 妻の妊娠検査でランテパオのエリム病院へ。マカレの病院より大きく、設備もよいようだ。検査結果は「不明」で、胃薬をもらって帰る。妊娠しているとしたら2ヶ月くらいか。トラジャで子どもを持つというのも悪くないとは思うが、いざというときの医療が心配だ。午後、セセアン郡でまたメロック儀礼があるというので出かける。郡長が出かけていて、いつ始まるのか聞けなかったが、村人が明後日の早朝から2日間の予定だと教えてくれた。出直すことにする。

 

11月28日

 25〜27日にかけて、セセアン郡サンガクンガン村のメロック──トンコナンの新築儀礼──を見に行く。この儀礼の主催者はキリスト教徒で、宗教的要素よりも社会経済的要素、つまり多くの豚(30頭以上!)の誇示的な殺害と肉の分配という「勲功祭宴」(feast of merit)的な要素が前面に出ていて、興味深かった(写真10、11)。

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写真10 メロック儀礼で供犠するための豚を運ぶ

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写真11 豚の供犠。この儀礼では30頭以上の豚が殺害された

 

11月30日

 3日前の朝、ピーターがひょっこりやってきた。2日間わが家に泊まり、今朝トラジャの西方にあるママサに向かって旅立った。彼は私より少し若く、25歳。何でも見てやろう的な男で、素直で、強く、真面目な旅行者である。午後、カンドーラ村テガンの葬式に出かける。この村には王族の始祖プアン・タンボロランギが天から降りてきたとされる山がある(写真12)。マカレに住んでいるプアン・ミナンガの娘インド・ナ・ライ(インド・ボカともいう)、プアン・ガウレンバン、県知事も来ていた。死者は県知事の父親(プアン・メンケンデック)のイトコに当たるという。肉の分け前にあずかる。夜、中央セレベス(スラウェシ)に関する本をパラパラとめくり、行ってみたいという誘惑に駆られる。日本に帰るまでに、ママサ、パロポ、そしてポソからパルまで旅行してみたい。

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写真12 ブントゥ・カンドーラ。王族の始祖が天降った山

 

12月1日

 テガンの葬式の続き。ヤシ酒をインドネシア製の安ウィスキーで割ったものをしこたま飲まされ、調査にならなかった。ミナンガに帰って昼寝。

 

12月2日

 ルバラン。イスラム教徒の断食明けの行事である。トラジャではイスラム教徒は少数派だが、ティノリン村では村長がムスリムなので、彼の家では小さなイベントがあった。水牛1頭を供犠してその肉を村人にふるまうというトラジャ式の喜捨である。その後、以前寄ってくれと言われていたので、ネ・コマンダン宅を訪れる。平民層出身の元警察官で、実直そうな人物である。県知事の家族についていろいろと話してくれた。

 

12月3日

 妻の27歳の誕生日だったが、変哲のない日だった。午前中、パンロレアンのネ・オドの葬式について聞きにいく。葬儀は、11月16日の葬送儀礼で遺体をリアンに収めて終わったはずなのだが、その後もこまごまとした儀礼が続いていた。人が死んで、生者と別れ、祖先となり生者を守護する存在になるまでの、トラジャの息の長い死の儀礼のプロセスに私たちはとてもついていけない。何がトラジャの人びとをそうさせているのか。午後は、バトゥ・キラで5回目のトラジャ語のレッスン。言葉はなによりも重要だと思う。帰りに村長の家の前で県知事にばったり会った。国軍司令官(パンリマ)がトラジャに来るので出迎えだという。県知事は国軍出身で陸軍中佐の地位にあった。私がパンロレアンに行ったと言うと、「人民」(インドネシア語でrakyat) の様子はどうだったかと聞く。まさに王様のようなセリフだ。家に戻り、マンディ(水浴び)したあと、妻の誕生祝いに水牛のビーフシチューを食べた。2人とも最近疲れ気味で、このところ体調がよくない。

 

12月4日

 パンリマ来訪の催しがあるというので、マカレに行く。トラジャ文化の視察ということで、高校の校庭でト・ミナア祭司の解説によりトラジャの各郡の芸能が披露された。ミナンガに戻って遅い昼食をとっていると隣のインド・セサの子どもが、これから儀礼があるから来ないかと呼びに来る。行ってみると、マンターダと呼ばれる先祖に対する小さな儀礼が持たれていた。豚を供犠して、竹筒料理(pa’piong)(写真13、14)を作って共食する。集まって来た家族から若干聞き取りをした。久しぶりに月が明るい。明日はウジュンパンダンに行くことになる。

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写真13 竹筒料理。肉を香辛料と混ぜて竹筒に詰める

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写真14 竹筒を火にかけて焼く。トラジャの儀礼の際の料理法である

 

12月5日

 ウジュンパンダンに出る。3ヶ月ぶりだ。トラジャ以外の世界があったのだと改めて気づかされる。ウジュンパンダンまでのバスの車窓から移りゆく風景をみていると、トラジャのなかの差異など小さなものに見える。ミクロ・ソシオロジーは木を見て森を見ずということになりかねない。つねに全体的な視野のなかにトラジャを置いてみる必要がある。その意味では旅行はとても重要だ。山のトラジャに対し、ウジュンパンダンは海の町である。海岸近くのホテルに泊まり、アジア・バルという海鮮料理のレストランで魚を食べる。石川栄吉先生が言っていた(トラジャ調査を終え、ウジュンパンダンで魚を食べたときの)「生き返った心地」という言葉を思い出す。

 

12月10日

 ホテルは1泊のみで、12月6日にホテルから津田さんのところに移った(写真15)。1週間の予定で居候させてもらっている。津田さんは恰幅のよい初老の大阪人で、日本人には珍しく太っ腹な人だ。ウジュンパンダンに住んで16年、この町でトゥアン・ツダ(「トゥアン」は外国人に対する尊称)を知らない人はいない。民間領事的な役目を果たしている人である。何でも相談にのってくれるので、日本人、インドネシア人を問わず来客が多い。ウジュンパンダンでは、この町のシンボルであるベンテン(フォートロッテルダム)を訪れたり(写真16)、古い華人の廟を見たり(写真17)、人に会ったり、フィルムを現像に出したり、生活物資の買い出しをしたりとスケジュールをほぼ消化しつつある。妻の妊娠問題もこちらの病院で検査した結果 "tidak hamil"(妊娠しておらず)と判明。都市の大きさ、物の多さは、トラジャから出て来た田舎者には目を回しそうなくらいだ。今は雨期で、雨期の町は前回の乾期のときより落ち着いてきれいに見える。津田さんのところに置いてあった本を2冊──会田雄次とイザヤ・ベンダサンの日本人論──を読了。読みながら改めて日本人とは面白い民族だと思う。外国にいるだけに面白いと感じるのかもしれない。

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写真15 津田邸にお世話になる。写真は妻

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写真16 ベンテン(フォートロッテルダム)。

17世紀スラウェシに進出したオランダが1679年に作った砦

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写真17 華人の廟、天后宮

 

12月12日

 1週間のウジュンパンダン滞在を終え、トラジャに戻る。旅行中にみる風景は無言のうちに多くを語ってくれる。例えば、トラジャに特徴的だと思っていた額を使った背負い籠の背負い方(写真18)はトラジャに隣接する地域でもおこなわれている。ブギスの地とトラジャの地は天然の要塞のような山並みで隔てられているが、文化の変化は漸進的だ。ミナンガに戻ってみると、日本からの郵便物──親、妻の弟、友人たちから──がごそっと届いていた。

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写真18 背負い籠の背負い方

 

※次回は6/1(火)更新予定です。

 


堀研のトラジャ・スケッチ

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ウジュンパンダン港

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