トラジャその日その日1976/78──人類学者の調査日記

山下晋司さんが1976年9月から78年1月までの間にインドネシア・スラウェシ島のトラジャで行った、フィールドワークの貴重な記録を公開します。

第11回 トアルコ、田園の憂鬱、田植え、裁判所 1977.3.26〜4.19

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3月26日

 トアルコ(註1)の駐在員を訪ねてランテパオに行く。正式にオープンした新しい事務所は新設された市場のショッピングセンターの2階にある。話しているうちにナンガラ(ランテパオの東16キロ)に行く用事があるので一緒にどうかと誘われる。ナンガラは多くのアラン(米倉)が並んで建っていることで有名だが(写真1)、まだ行ったことがなかったので同行させてもらう。米倉は数えてみると14棟あり、カンプン長の所有だとのこと。近くに巨石のある広場(ランテ)があり、ルウのダトゥ(王)に起源するとされる古いトンコナンがあった(註2)。最近建てられたトンコナンの屋根は反り上がっているが、古いトンコナンは屋根の反りがなだらかだ (写真2)。明日はバルプ(リンディンガロ郡)に行くというので、こちらも同行させてもらうことにする。そのために今夜はランテパオのウィスマ・マリアに泊まることになった。トービーとチャールズもいたので雑談。マカレではPPP(開発統一党。イスラム系)の選挙キャンペーンで、ロスメン・インドラ界隈は大賑わいだったらしい。

註1 トアルコ(P.T. Toarco Jaya)については第8回2月4日および第10回3月24日参照。

註2 このトンコナンの最初の祖先が、ブギスの分派であるルウ(第8回2月11〜13日参照)の王に起源するというのは、この祖先が「外来王」であることを意味しているのだろうか。詳しいことはわからないが、きわめて興味深い事例である。

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写真1 ナンガラのアラン(米倉)の列

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写真2 古いトンコナンは屋根の反りがなだらか。

メンケンデック郡ランダナンのトンコナン・オティン

 

3月27日

 トアルコの一行に加わってバルプへ行く。バルプはリンディンガロ郡の一番奥の村だ。県北部のコーヒーの集積地の1つで、1973年に都立大の石川栄吉先生が調査したところである。朝6時前、車でランテパオを出発。途中トンドック・リタック(セセアン郡)のコーヒー精選加工工場の敷地を見学し、土地買収の苦労話などを聞く。パンガラで郡長に挨拶した後、(車では行けないため)馬に乗ってバルプを目指す(写真3)。パンガラから北西に直線距離で15キロくらい。バルプまでは村らしいところはなく原野が続く。馬に乗ったのはトラジャ入りして間もない頃県知事に同行して行ったボンガカラデン郡以来で2度目である。今回は少し慣れて気持ちよかった。ガイドの話ではバルプの奥には「ピグミー」(小人)が住んでいるらしい。チャンスがあれば、1度探検してみたい。バルプでは村役場を訪れ、村長に挨拶し、記念写真を撮る(写真4)。村人のほとんどがキリスト教徒だ。ランテパオに戻ってきたのは夜になってからでウィスマ・マリアにもう1泊することになった。トアルコ駐在員の相馬さん、清野さん、奥村さんはいずれも好人物である。

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写真3 トアルコの一行と馬に乗ってバルプを目指す

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写真4 バルプ村を訪れる(撮影者不明)

 

3月28日

 マカレに戻る。昨日の疲れで、ごろごろして過ごす。研究社から手紙。日本を出る前に分担翻訳した『構造主義』がようやく出ることになったらしい(註3)。夕方、疲れたせいか気分が晴れず、憂鬱な気持ちに襲われる。

註3 レイン、マイケル編(篠田一士監訳)1978『構造主義』研究社出版。

 

3月29日

 トラジャ生活に飽きてしまった自分を見出す。ヤシの樹、竹林、岩山、そして無知な人びと──「田園の憂鬱」だ。村人は私にトラジャがスナン(senang「楽しい」)かと聞く。もちろん、スナンだと答えるのだが、内心は複雑である。永井荷風『ふらんす物語』を読む。

 

3月30日

 まだ憂鬱病が続いているが、少し元気が出て、本を読む。ここでは読書以外に楽しみがない。竹内好編『アジア主義』に収められた大川周明「安楽の門」。樽井藤吉「大東合邦論」など読む。何故トラジャを研究するのか。満足のいく答えを見出せないでいる。夕方、市場近くの雑貨屋で、ウィスキー(ジョニ赤)を買う。明日スハルト大統領が来るというので、マカレの町は準備でおおわらわ。ロスメン・インドラも政府関係の客で一杯だ。

 

3月31日

 スハルト大統領がやって来た。到着は夕方6時過ぎ。さっそく歓迎会があり、踊りが披露される。私たちも招待状をもらって、見物する。大統領は王様のように傘を差し掛けられて来場。写真でよくみるように、顔つきは柔和だ。ティエン夫人はキツそうな顔立ち。坊ちゃん育ちの県知事はとても緊張していた。踊りの出来はまずまずで、精一杯の歓迎ぶりだった。

 

4月1日

 久しぶりにランダナンに行く。村の道を歩きながら考えた。どうもインドネシアを好きになれない。あと1年もこの国にいるのかと思うと憂鬱になる。大統領が来てロスメン・インドラにも他県からの関係者が泊まっているが、彼らは断りなく私たちの所有物を借用する。公私の区別がない。クーラン・アジャール(kurang ajar「ぶしつけな」)という言葉があるが、その言葉がぴったりだ。それにマカレの町より村の方が静かな分だけまだましのように思える。町はうるさく、汚い。荷風の『ふらんす物語』の「シンガポールでの数時間」を思い出す。今日はプアン・ガウレンバンと一緒にランダナンの葬式を見にいく予定だったが、彼が不在だったので、1人で行くことになった。「3晩の葬儀」(dipatallung bongi)の初日で、今日は「息を引き取る」(ma’karudusan)儀礼がおこなわれた。2週間前に亡くなっているのだが、身体的には死んでいても葬式が始まるまでは病人(to makula’=「熱い人」)とみなされ、葬儀が始まってはじめて息を引き取り、死ぬ。トラジャでは死は生物学的にではなく、儀礼的に定義されているのである。

 

4月2日

 午後から再度ランダナンへ。昨日の葬式の続きをみる。今日は供犠(mantunu)の日。水牛3頭を殺害し、その肉を分配する。肉の分配はトラジャの葬式の社会的側面を示すものとしてきわめて重要だが、実利的にも肉の分配にあずかれるのは大きな魅力だ。トラジャでは儀礼以外で肉が食べられることはなく、儀礼は食べるという生理的な欲求と分けて考えることはできない(註4)。ウンバティン(umbating 儀礼的涕泣)もそうだ。儀礼的に泣くことは自然に泣くことと表裏一体で、自然の欲求が儀礼を介することで形を与えられる。この「形」こそが文化なのだ。夕方、雨の中、ぬかるみの道を歩く。サンダルを履いていると歩きにくいので、村人のように裸足になる。足の指先に力を入れると滑らない。そう言えば、トラジャの村人の足の指先はスパイクのようになっている。「赤のまんまの咲いてゐるどろ路にふみ迷ふ新しい神曲の初め」──西脇順三郎の詩を思い出しながら、5回目の結婚記念日を迎えた。

註4 第7回1月28日参照。

 

4月3日

 再びランダナンの葬式へ。今日は3日目、葬送 (miaa)の日で、着いたときには遺体はバラにあるリアン(壁龕墓)に運ばれていた。ここにはプアン・ミナンガの夫、県知事の父親であるプアン・メンケンデック(写真5)の遺体も収められており、彼のタウタウ(副葬用人形)も展示されている。タウタウを作ることができるのは王族層にかぎられるという。ただ遠くからだと表情がよくわからない(写真6)。望遠レンズを持ってこなかったのは残念だ。リアンの前ではウンバティン(写真7)とマバドン(ma’badong 葬送歌のサークルダンス)(写真8〜10)がおこなわれていた。私も参加して、見よう見まねでやってみる。帰路、ミナンガに寄る。苗代から田んぼに稲を移すために苗を束ねる作業をやっていた(写真11)。田植えは明後日だそうだ。

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写真5 プアン・メンケンデック(肖像画)。メンケンデックの王族。

プアン・ミナンガの夫で、県知事J. K. アンディロロの父

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写真6 メンケンデック郡バラのリアン(壁龕墓)。

タウタウ(副葬用人形)が並んでいるのが見える

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写真7 リアンの前で、ウンバティン(儀礼的涕泣)

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写真8 マバドン。葬送歌のサークルダンス

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写真9 マバドン。手の組み方

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写真10 マバドン。足のステップ

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写真11 苗代から稲を移すために苗を束ねる

 

4月4日

 京大東南アジア研究センターの坪内良博さんより手紙。前田(立本)成文さんとの共著で『核家族再考』という本を出すとのこと(註5)。「マレー型家族」という考え方はトラジャにも当てはまる。インドネシア大学のイロミ教授の夫からの手紙をランテパオ出身の学生が持ってきてくれた。イロミ教授は現在オランダに滞在中で、トラジャの裁判記録のデータを欲しがっているとのこと。私も裁判記録には関心があるので、これを機会にマカレの裁判所を訪ねようと思う。昼寝の後、市場の裏手のカンプン・トンドン(マカレに隣接するボンボンガン村を構成するカンプンの1つ)方面を散歩。岩山のふもとにはリアンがあり、タウタウが全部で15体ほどあった。市場でクーリン(料理に使う素焼きの壺)を1個50ルピアで買う(写真12)。日常的にも儀礼的にもトラジャの重要な生活必需品だ。クーリンはバトゥパパン村(マカレの北西6キロ)で作っているらしい。作っているところをいつか見にいきたい。

註5 坪内良博・前田成文 1977『核家族再考』弘文堂。

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写真12 市場で売られているクーリン(料理壺)

 

4月5日

 ミナンガのプアンの田んぼで田植え(写真13〜14)。約40人が4〜5日がかりでおこなう。田植えの労働に対しては1人1リットルのご飯が提供され、収穫後にも1日あたり10束の稲(精米に換算すると約1リットル)が支払われる。付近の田んぼでも田植えの季節だ。水田の所有関係について聞く。妻によると、村人が陰でプアンの悪口を言っているという。田植えの労働に対する報酬をケチっているらしい。

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写真13 田ぞりを使って苗床を整える

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写真14 田植えは主に女たちの仕事である

 

4月6日

 昼前、カンプン・トンドンのプアン・スンブンを訪ねる。かつてマカレ地域で勢力のあったプアン・タロンコの息子の1人である。キリスト教に改宗しており、伝統的儀礼は過去のものと考えている。トラジャのキリスト教化のパターン──まず子どもがキリスト教に入信し、次に親に改宗を迫る──について聞く。昼寝後、岸幸一の論文「南スラウェシの社会」を読み返す(註6)。山地/平地のエコロジカルな違いを問わず、南スラウェシの社会は、似たような社会構成をとっているという印象を持つ。Economic Anthropology所収のポトラッチに関する論文を読む(註7)。そこで論じられているfood, wealth and prestigeの互換性をトラジャの水牛をモデルにして考えるとどうなるか。

註6 岸幸一・馬淵東一編1969『インドネシアの社会構造』アジア経済研究所。
註7 Piddocke, Stuart. 1968. The Potlach System of the Southern Kwakiiutl: A New Perspective. LeClair, Edward E. Jr. and Harold K. Schneider eds. Economic Anthropology: Readings in Theory and Analysis. Holt, Rinehart and Winston, Inc, pp. 283-299.

 

4月7日

 マカレの裁判所を訪れる。所長に会ってどのような訴訟が多いのか聞く。まず葬儀(遺産相続)、次に水田(質入れ)、そして離婚(離婚資の支払い)に関するものが多いとの答え。裁判所の調査チームによる判例集(Masalah-masalah Hukum Perdata)が郡別に刊行されており、その一部を閲覧させてもらう。また、水田についての訴訟記録をみる。なかなか面白い。暇なときに記録を見せてもらうことにする。EconomicAnthropology所収のP. Bohannanの論文を読む(註8)。

註8 Bohannan, Paul. 1968. Some Principle of Exchange and Investment among the Tiv. LeClair, Edward E. Jr. and Harold K. Schneider eds. Economic Anthropology: Readings in Theory and Analysis. Holt, Rinehart and Winston, Inc, pp. 300-311.

 

4月8日

 昨日同様裁判所に出かけたが、今日は祝日で休み。宿舎に戻り、経済人類学の論文を読む。昼食にいつものように妻が焼いた自家製のパンにマーガリンとジャムをつけて食べる。その後、ミナンガへ行く。プアンの田んぼの田植えはまだ続いている。村長ハジのところによって村役場勤務のサンペからハジの所有する水田の収穫量(総計64000束、約6400リットル)と労働状況を教えてもらう。どの田んぼで、いつ誰が作業したかが克明に記録されている。バトゥ・キラ周辺ではすっかり田植えは終わっている。帰りは別宅での休養を終えた県知事の車に乗せてもらってマカレに戻る。今日からリクという近所の高校生から原則毎日夕方1時間トラジャ語のレッスンを受けることになった(註9)。

註9 第10回写真1参照。

 

4月9日

 午前中裁判所へ。判例集マカレ篇を写す。職員はおしゃべりばかりで仕事をあまりしていない。昼食後、カンプン・ティノリンの葬式へ。キリスト教徒の葬儀だが、供犠した家畜の肉の分配など儀礼の慣習的・社会学的な側面は伝統宗教と同じである。疲れて帰宅。

 

4月10日

 ランダナンのプアン・ガウレンバン宅へ。口頭伝承のタイプ打ちの続き。妻にタイプを打ってもらっているあいだに昨日のティノリンの葬式の続きを見にいく。昨日(香典に当たる)豚を持参した人と死者との関係を聞く。総計30頭の豚が持ち込まれ、内23頭は死者の姻族からのものだった。プアン・ランダナンのトンコナン、ランテの巨石列柱、水浴中の水牛などの写真を撮る。県北部の巨石がサークル状であるのに対し(写真15)、県南部の巨石は列柱である (写真16)。なぜ違うのか、理由はよくわからない。

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写真15 県北部のストーンサークル

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写真16 県南部の巨石列柱

 

4月11日

 裁判所に行き、判例集サンガラ篇を写す。職員のおしゃべり。しゃべる声が大きくてオフィスはまるでニワトリ小屋のようだ。ロスメン・インドラでは昨夜来た客が私たちのコップを無断で使っただけでなく、割ってゴミ箱に捨てていた。インドネシア人のクーラン・アジャールぶりには腹が立つ。

 

4月12日

 裁判所に行き、判例集セセアン篇を写す。判例集は社会生活の基本に深く関わっていてトラジャ社会の研究にとってきわめて重要な資料だと思える。午後、ランテレモの闘鶏を見にいく(写真17)。これは葬儀の一環としておこなわれたもので、昨年12月にピーターと行ったときはまだ許可が下りていなかったのだが、今頃になってようやく許可が出たわけだ。場内場外で熱い賭けがおこなわれ、さしかけ小屋の賭博場(写真18)や臨時の市場までできてとても賑やかだった。葬儀の一環として、闘(水)牛や闘鶏が催されるのは一種の模擬戦だろうか。かつては首長の葬儀に際して首狩りがおこなわれたという。雨が降ってきて、泥道を歩いて帰る。マカレ市場近くの商店の店員も闘鶏に行って1000ルピアほど勝ったらしい。23万ルピアも儲けた人もいたという。

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写真17 闘鶏。葬儀の一環であるが、場内場外で賭けがおこなわれる

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写真18 サイコロ賭博も開帳

 

4月13日

 裁判所に出かける。今日はパンリンディン (pangrinding)と呼ばれる遺産相続の事例をみる。パンリンディンとは葬儀の際の水牛提供数に応じて、遺産を分ける方法のことである。水牛供犠の背後にある強い経済的動機。それがこじれて訴訟となることが多いのだ。夕方、オーストラリア国立大学に留学中の先輩内堀基光さんに手紙を書く。正確な住所がわからない。Australia National University, Canberra, Australiaで着くだろうか。

 

4月14日

 昨日同様、裁判所通い。今日は離婚の判例をみる。離婚に当たっては、「悪い方」が離婚資(kapa’)を支払わなければならないのだが、それをめぐる訴訟である。午後、再び憂鬱病に襲われる。おいしい食事とか、知的な会話とか、映画とか芝居とかに飢えている。トラジャ生活を優雅にする方法はないものだろうか。

 

4月15日

 午前中、裁判所。役所の連中は朝からドミノに興じている。実に「優雅な」仕事ぶりだ。午後、ミナンガに出かける。インド・ナ・ライとプアンの姪に当たるライ・ランテアロが来ている。ルケを連れて、近所の田んぼを見て回る。村長ハジの家の前でマカレに帰るミニバスを待っていると、ゲルという10歳ばかりの女の子がハジの家のお手伝いさん (pembantu)になっているのに気づく。ハジによると、祖母と住んでいたのだが、イヤになってハジの家にやってきて住み込んだのだという。給料は支払われないが、食事と衣類は与えられている。富者の家に居候して「奴隷」(kaunan)になった例である。

 

4月16日

 朝、キラさんより1973年度の観光開発セミナーの報告書を受け取る。郡別のレポートはリンディンガロ郡とサンガラ郡しかなかったので、他郡のレポートを後日手に入れる必要がある。裁判所に行き、県知事のJ. K. アンディロロ氏が関わっている水田の質入れ(gaidai)についての判例を読む。昼寝後、帰省していたリクが村(ボンガカラデン郡バアカユ村)から戻ってきたので、トラジャ語のレッスンを再開する。夜、台所の収納庫を整理。まだ雨期による「寒期」が続いている。

 

4月17日

 ランテパオへ出かける。家畜市場(pasar hewan)を見にいくつもりだったが、今日はやっておらず空振り。帰り道、偶然県知事夫人の甥のイポさんに会う。お兄さんがランテパオに住んでいるらしい。グナグナ(guna-guna 魔術)のことなど話してくれる。とくにボンガカラデンやサルプティなど県西部地域はグナグナが盛んらしい。ねたみや嫌悪がきっかけとなるという。トアルコの駐在員はまだウジュンパンダンから戻っておらず留守だった。それでトービーとチャールズを訪ねたが、彼らも留守。明日、ロスメン・インドラでスライドの試写会をやることをメモで伝える。

 

4月18日

 朝、トービーとチャールズがスライド試写会に来る。試写会は夜なので、マカレを案内する。先日「発見」したブラケの古いタウタウを見にいく(註10)。帰路、雨に降られ、皆濡れ鼠になる。シャワーして着替え、夕食後、キラさんも交えてスライドショー。写真の出来はまあまあだと思う。トービーとチャールズもロスメン・インドラに泊まる。

註10 第10回3月19日参照。

 

4月19日

 昼近くまでトービーとチャールズとおしゃべり。チャールズは31歳、トービーは28歳。トービーは私と同じ1948年生まれだ。日本・東京とアメリカ・ニューヨークだが、同世代、ともに同じ時代を共有し、同じような体験をしてきているという印象を持つ。しゃべりすぎ、タバコを吸いすぎて、疲労感を覚える。

 

※次回は9/7(火)更新予定です。

 


堀研のトラジャ・スケッチ

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リアンとタウタウ

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