トラジャその日その日1976/78──人類学者の調査日記

山下晋司さんが1976年9月から78年1月までの間にインドネシア・スラウェシ島のトラジャで行った、フィールドワークの貴重な記録を公開します。

第14回 ウジュンパンダンの休日1977.5.30〜6.13

f:id:koubundou2:20210921111056j:plain

 

5月30日

 ランテパオに行き、銀行から20万ルピアおろす。チャールズとトービーは3日前にウジュンパンダンに向かったらしい。市場でおみやげ用にコーヒーを3キロ、3000ルピアで買う。1キロ当たり1000ルピアでだいぶ安くなってきた。トアルコ(キーコーヒーがインドネシアに設立した合弁会社)の清野さんはパダマランの農園(註1)、杉山さんはスラバヤ、相馬さんと奥村さんは今日ウジュンパンダンから戻ってくるとのことで、しばらく待ってみたが来なかったので、ミナンガに戻る。が、途中でトヨタ・ランドクルーザーに乗った彼らと会い、6月3日に相馬さんがウジュンパンダンに向かう便に同乗させてもらうことになった。ビザの延長もしなければならないし、そろそろ息抜きも必要だ。ランテパオからの帰路、ミニバスの車窓からみた夕方の田園風景が実にきれいだった。1月か2月頃、田植えをしていたサンガランギ郡付近の田んぼはもう刈り入れである。早生品種だろうか。相馬さんが村長ハジのところに日本の新聞と若干の食品を置いてくれていた。いつものことながら、感謝、感謝。

註1 第12回4月24日参照。

 

5月31日

 午前中、『民族学研究』の報告論文に着手する。午後、ケペのアンベ・ソ・ロト宅を訪れる。アンベ・ソ・ロトは5月11日に死去。6月5日より「5晩の葬式」(pa’limang bongi)が始まるという。ちょうどウジュンパンダンに行っている時なので、前もって話を聞いていこうと思ったのだ。甥のシッティさんが親切に対応してくれた。アンベ・ソ・ロトはトンコナン・ケペ・ジョンガンのト・パレンゲ(代表、長)を務めていたらしい。LIPI(インドネシア科学院)のスワソノさんから返事が届き、クンチョロニングラト教授宛の手紙およびLIPI宛の2つのレポートを受け取っていたとある。夕方、夕陽が当たる水田がとてもきれいだったので、写真を撮ろうとアングルを捜しているうちに色が褪せ、シャッターチャンスを逃してしまった。光はとても微妙だ。

 

6月1日

 ウジュンパンダンに行く前に、プアン・ガウレンバン宅での仕事を少し進めておかねばと思ってランダナンへ出かける。しかし、ガウレンバンは親戚の結婚式に行って留守だったので、私もその結婚式を見にいくことにした。結婚したのはプアン・ランダナン(註2)の孫(娘の娘)である。新郎はパンロレアンのト・パレンゲの息子とのこと。この地域の支配者層同士の結婚だ。ネ・ルケによると、プアンがマカレに帰るときに残していった米(稲50〜60束)が底をついたとのこと。プアンがマカレに帰ったのは1週間前だったから、この1週間にネ・ルケ、ネ・ピア、ルケ、ポーリーの4人家族で1日当たり約8束の稲(精米に換算すると約0.8リットル)を消費したことになる。

註2 かつてこの地域で勢力を誇った王族で、プアン・メンケンデック──プアン・ミナンガの夫で、県知事J.K.アンディロロの父──の父親に当たる。

 

6月2日

 ウジュンパンダン行きの準備。マカレの警察署に旅行計画を届けにいく。郵便局には妻の実家からの荷物が届いていた。村人への古着が1箱、食品が1箱。インド・ナ・ライのところに挨拶に行き、昼食をごちそうになる。インド・ナ・ライの夫、マンゴンタンさんがマラリアにかかってうなっていた。プアンは明日ミナンガに来るとのこと。たぶんアンベ・ソ・ロトの葬式に出るためだろう。県知事が病気だというので、蜂蜜とレモンを買って知事夫人にことづける。6日よりテガンで闘鶏がおこなわれるらしい。12月に申請していたものがようやく許可が下りたとのこと。この前撮りそこねた夕暮れの水田と水牛に乗った少年の写真を撮る(写真1、2)。日本に戻った村井吉敬さんから手紙が届く。

f:id:koubundou2:20210921110439j:plain

写真1 生育する稲。見ているととても豊かな気持ちになる

f:id:koubundou2:20210921110455j:plain

写真2 バッファロー・ボーイ

 

6月3日

 トアルコの相馬さんの車に便乗させてもらってウジュンパンダンへ向かう。途中お昼にパレパレで食べたイカの揚げ物がとても美味しかった。ウジュンパンダンではいつものように津田さんのお宅(註3)に泊めてもらう。ただし、津田さんは日本に帰っており、留守宅に佐久間さん、井田さんとともに居候させてもらうことになった。佐久間さんは東京外大のインドネシア語科の出身、井田さんは材木屋さんである。井田さんはよく目の動く、面白い人である。久しぶりに彼らと酒を飲んだら途中で寝てしまった。

註3 第4回12月10日参照。

 

6月4日

 警察署と入管を回る。ビザの延長は、LIPIからの書類があればジャカルタに行かなくてもウジュンパンダンでもできるようだ。ウジュンパンダンの入管はジャカルタの入管に比べてはるかによい。カメラ屋で写真の現像を依頼し、例によってスラウェシ通りのインド料理屋でマルタバック(インド風お好み焼き)を食べる。いつもながらうまい。夜、佐久間さん、井田さんらと総領事館の吉田さんを訪ねる。吉田さんは子どもの頃読んだ前谷惟光のマンガ「ロボット三等兵」に似ている。奥さんも加わって夜中の12時すぎまで雑談して帰宅。

 

6月5日

 日曜日。午前中、井田さんとだべって過ごす。夜、飛び魚の卵のビジネスに携わっている吉川きっかわさんという人が来て、深夜までとりとめもなくしゃべって過ごした。津田さん宅にはいろいろな人が来て面白い。

 

6月6日

 朝、入管、続いて警察署を回る。警察署でたまたまトービーとチャールズに会った。インド料理屋で一緒にマルタバックを食べ、ヌサンタラ通りのコーヒー屋で話す。彼らは明日バリに行くらしい。白黒写真、論文等のコピーができあがる。夕方、パサールセントラル(中央市場)に出かけて、絹織物(有名なワジョ県センカン製)と妻の服を作るための布を買う。

 

6月7日

 総領事館に行き、寺田総領事に会う。インドネシア大学に提出する書類を作ってもらう。写真屋に寄り、カラープリントを受け取る。また、系図のコピーを取る。夕方、ソンバ・オプで買い物。駒沢大学の高山さんと親父に絵はがきを出す。

 

6月8日

 レストラン・アカイ近くの中国人の店に妻の洋服の仕立てを頼む。1着500ルピアとのこと。夕方、パサールセントラル近くの雑貨屋リマ・リマでウィスキー・ホワイトホース(1850ルピア。トラジャより安い)など食料品を買う。これで大方の用事はすんだ。ウジュンパンダン滞在中に会うべき人があと2人。井田さん、吉川さんと酒を飲んで、10時前に就寝。

 

6月9日

 カヤンガン島へ泳ぎに行く(写真3)。ベンテン(フォート・ロッテルダム)前の桟橋から乗り合いボートに乗って約20分。ひと回りしても5分とかからない小さな島だ。吉川さんも一緒だった。話し好きの彼と付き合っていると泳いだ気がしなかったが、あまり疲れずにちょうどよかったのかもしれない。昼食をレストラン・アカイでごちそうになった。カラースライドができあがり、カラープリントの現像も依頼する。写真代は結構かかる。が、調査の必要経費なのでしかたがない。

f:id:koubundou2:20210921110516j:plain

写真3 ウジュンパンダンの休日。カヤンガン島へのボートの中で(山下淑美撮影)

 

6月10日

 昨日に続き今日もカヤンガン島に行く。佐久間さんから借りたシュノーケルを着けて泳ぐ。熱帯魚が泳いでいるのが見え、飽きない。午後、津田さんが奥さんと一緒に日本から戻ってきた。奥さんは(心も体も)堂々とした感じの人である。2人とも元気そうだった。教育文化省に出す書類とインドネシア大学のイブ・アニに出す書類の下書きを作る。

 

6月11日

 午前中、モンギシディ通りにあるトアルコのウジュンパンダン事務所に相馬さんを訪ねる。14日の朝、トラジャに帰る車に乗せてもらうことになる。トアルコの杉山さんの奥さんに会う。彼女はママサ(西スラウェシ州)の出身で、近く葬式のためママサに行くというので、私たちも同行させていただきたいと伝える。昼食をごちそうになる。その後、同じ通りにあるトラジャ人サンペ・トディンの家を訪ねたが、不在だった。夜、津田さん宅の2階の新しい部屋に移動。

 

6月12日

 午前中、モーターボートを借りて、津田夫妻、吉川さんらと連れだって、サマロナ島に釣りに行く(写真4、5)。魚は1匹も釣れなかったが、シュノーケルを着けて珊瑚礁の海を泳ぐ。熱帯魚、ウニ、珊瑚が実に美しい。調査のことなど忘れて、ウジュンパンダンの休日を決め込む(写真6)。午後は波が立つというので、サマロナ島は午前中で切り上げ、中国人の経営するワンタン屋で焼き豚入りの中華そばをごちそうになる。夕方、ブンガヤ通りのプアン・タンディランギ(註4)を訪れる。家ではたまたまアリサン(頼母子講)の会合をやっていた。アリサンはジャカルタでもみたことがあるが、ウジュンパンダンでも流行っているらしい。今回は奥さんの姉妹を中心とした会で、装飾品を買うためのアリサンだとのこと。社交的な要素が強いようだ。タンディランギさんは昨日交通事故で怪我をしたということだったが、トラジャの神話や歴史のことなどいろいろ教えてくれた。市の図書館にも彼が書いたものがいくつか入っているらしい。奥さんはマカッサル人なので、家の中では状況に応じてマカッサル語、インドネシア語、トラジャ語を使い分けているという。夕食をごちそうになる。

註4 第9回2月26日参照。

f:id:koubundou2:20210921110536j:plain

写真4 モーターボートを借りてサマロナ島へ行く。左は妻、右は井田さん 

f:id:koubundou2:20210921110623j:plain

写真5 サマロナ島にて。後列左から妻、津田夫妻、筆者。
前列左から吉川さん、佐久間さん(撮影者不明)

f:id:koubundou2:20210921110640j:plain

写真6 サマロナ島での海水浴。筆者と妻(撮影者不明)

 

6月13日

 タンディランギさんの論文が載っている雑誌 Bingkisan, Budaya Sulawesi Selatan を捜しにベンテンの南スラウェシ文化財団(Yayasan Kebudayaan Sulawesi Selatan)の事務所に行く。しかし事務所に雑誌はなく、財団の代表であるラシッドさんが持っているというので、彼の自宅を訪ねる。60歳くらいの温厚・誠実そうな人である。彼によると、この雑誌は1970年に9-10号が出た後、財政難で休刊。今年、州政府の支援で復刊の見通しだという。夜、吉川さんと猥談に興じる。彼はなかなかの好き者だ。

 

※次回は10/19(火)更新予定です。

 


堀研のトラジャ・スケッチ

f:id:koubundou2:20210921110747j:plain

ウジュンパンダンの街並み

Copyright © 2021 KOUBUNDOU Publishers Inc.All Rights Reserved.