トラジャその日その日1976/78──人類学者の調査日記

山下晋司さんが1976年9月から78年1月までの間にインドネシア・スラウェシ島のトラジャで行った、フィールドワークの貴重な記録を公開します。

第22回 星見、水不足、マブア・カサレ儀礼 1977.10.13〜11.1

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10月13日

 朝、ランテパオからミナンガに戻る途中、マカレでトアルコの式典帰りの寺田さん(在ウジュンパンダン総領事)と園田さん(ウジュンパンダンの日本人会代表、Sermani Steel Corp.)と会い、2人をミナンガのわが家に案内する。私たちが住んでいるトンコナンを見せる。トンコナンに入るのは初めてということでとても興味を示してくれた。午後、インド・セサの子どもたちが卵を4個持って来る。また、ネ・ルケも田んぼの池で捕れた鯉を3匹持ってくる。猫のカンカンがまたダポ(炉/台所)のススにまみれて真っ黒になり、蚤だらけになっていたのでマンディ(水浴び)させる。猫にマンディかとプアンが笑う。

 

10月14日

 朝、マカレへ。警察に旅行証(surat keterangan jalan)(註1)の更新に行ったのだが、今日は金曜日で、オフィスは11時で閉まっていた。また出直すことにして、市場で買い物をしていると、トービーとチャールズにばったり出くわした。市場の傍のワルンで昼食をとりながら、いろいろと情報交換。そのため、インド・ロモの孫の結婚式には行けなかった。夕方、結婚式から帰ってきたインド・ロモとネ・スレーマンから話を聞く。民博の吉田集而さんと文部省から手紙が届く。吉田さんは送った報告書に満足している様子。文部省からは留学の延長はオーケーとのこと。

註1 当時外国人はパスポートとともに州警察発行の旅行証を携帯することが義務づけられていた。

 

10月15日

 トラジャでは星を見て稲作の開始時期を決めると聞き、朝4時に起きて、星を見ながらネ・スレーマンから星の名前などを教わる。オリオン座の内側の3つ星はパムレ(pamule 語義不詳)、外側の4つ星はマディカ(ma'dika' 貴族)、プレアデス星団(昴)はブンガ(bunga’ はじまり)、南十字星はマヌック(manuk 鶏)、3つ並んでいる星(大熊座?)はレンバ (lemba 人が天秤棒で物品を担ぐ姿)、東に見える金星はサダン(sadang)、天の川はナガ(naga 蛇)などという(註2)。午前中、マカレの警察に行き、昨日できなかった旅行証を更新。郵便局から村井吉敬さんに手紙を出す。京大東南アジア研究センター・ジャカルタ事務所の前田(立本)成文さんからの手紙を受け取る。今月26日か27日に在インドネシア日本大使のお供でトラジャに来るとのこと。続いて、ゲーテガンのメンケンデック郡役場へ行く。このあたりは新しい郡の中心として開発ラッシュで、新しい建物が建ち並び、今日はその竣工式だった。豚3頭、水牛1頭、牛1頭を供犠したとのこと。着いたときにはもう県知事の演説は終わっていた。ベルギー人の神父も来ていた。昼食をごちそうになって帰る。帰宅後、昼寝。夕方、ルケとソ・ぺリ(ネ・スレーマンの孫)から畑の野菜の名前などを聞く。フィールドに入って1年余り。トラジャ民族誌で何を書くべきか。いまだ考えがまとまらない。走りながら考えるしかない。

註2  3つ並んでいる星(レンバ)は、当時のフィールドノートには大熊座と記していて、拙著『儀礼の政治学──インドネシア・トラジャの動態的民族誌』(弘文堂、1988年)にもそのように書いたのだが(p.81)、J.TammuとH. van der Veenの『トラジャ語‐インドネシア語辞書』によれば、レンバは3つ並んでいる星(人が天秤棒で物品を担ぐ姿)と記されていて、どの星座なのかは特定されていない。また、南十字星の起源については、以前ネ・スレーマンが語ってくれたブル・パラという男の子の民話に出てくる。第21回10月5日参照。稲作の開始に当たって人びとは星を見(pentiro taunan 字義的には「年見」)、羽蟻を捕る。羽蟻捕りについては次回(第23回)を参照。

 

10月16日

 朝、『民族学研究』用の書きかけの「トラジャ・フィールド・ノオト」に取り組むが、進まず。妻がメバリの市場に行き、久しぶりにダンケ(水牛のチーズ)を買って来る。午後、ランダナンに行く。プアン・ガウレンバンは留守だったが、口碑伝承のタイプ打ちの作業を続ける。他方で子どもたちを相手に色彩調査を試みる。夕食時に歯の詰め物が取れる。明日病院に行って診てもらうことにする。安部公房の『他人の顔』を読み始める。

 

10月17日

 昨日取れた歯の詰め物の補填をしてもらうためにランテパオのエリム病院に行く。歯を治療するドリルは足踏み式である。設備は十分とはいえないが、補填はなんとかできた。歯科医は私の歯を見て、興味津々。こんな治療素材はインドネシアにはないなどと話す。インドネシアの歯医者は医者というよりトゥカン (tukang 職人)に近い。治療費は150ルピア。保険診療でもないのにとても安かった。帰路、民博展示用の米倉を製作したポン・ランガのところに寄る。彼は留守だったが、奥さんがいたので写真を渡し、吉田さんの近況を伝える。トラジャ人はなぜ目が大きいかという話になり、その理由はトラジャには電気がないので、目を大きく開いて見なければならないからだということになった。たしかに副葬用人形(タウタウ)の目も大きい。夕方、インド・セサのところで生まれた水牛の赤ちゃんのことなどを聞く。夜、ギアツの『ジャワの宗教』(註3)を読む。ジャワの葬式は「静かな見送り」なのに、トラジャの葬式はなぜ「賑やかな祭宴」なのか。

註3 Geertz, Clifford. 1960. The Religion of Java. The University of Chicago Press.

 

10月18日

 朝、経済人類学関連の論文を読んだあと、ランテパオのエリム病院に行く。歯の補填治療の確認。お金は取られなかった。トアルコの事務所に寄ってみたが、駐在員たちは皆ウジュンパンダンに行っていて留守だった。ガソリン価格の下落で、ランテパオとマカレのバス料金も75ルピアに値下げされている。ちゃんと公示も出ていた。帰路、k9キロカセラ(マカレから9キロの地点)で降りて、インド・サッカの葬儀について聞きに行く。3日前に遺体を「南枕」(死者の頭位)に変えて、祭宴小屋作りが始まったところ。儀礼開始まであと1ヶ月くらいとのこと。「7晩の祭宴」(dipapitung bongi')になるらしい。インド・サッカは平民出身だが、王族のプアン・ブントゥ・ダトゥ(プアン・ガウレンバンの父)の妻だった。兄はアンベ・ソ・ロト(註4)、娘(ライ・タンケ)の夫がケンデック(日本時代のケペの長)で、この地域の支配層に繋がっている。「7晩の祭宴」は王族層の葬儀に準ずるものだ。ミナンガに戻ってマンディをしたが、昨日と同様水が濁っている。風邪をひいたのか、身体の節々が痛む。夕方、久しぶりにバッハを聴いたが、テープレコーダーのスピーカーのせいか音が良くない。夜、経済人類学関連の論文の続きを読む。トラジャの葬儀を見ていると、経済学がとても気になる。経済学と人類学をつなげる必要がある。

註4 1977年5月に死去。葬儀は「5晩の祭宴」でおこなわれている。第14回5月31日参照。因みに、インド・サッカはこの葬儀に参列するために泊まっていた娘の家で亡くなった。

 

10月19日

 市場の日でマカレに行く。ついでにインド・ナ・ライのところに寄る。ランダのネ・レバンの遺体のリアン(壁龕墓)への収納は10月5日におこなわれたとのこと。パ・レバン夫人は3日前にウジュンパンダンに帰ったそうだ。ソ・リンブン(インド・ナ・ライの前の夫との間に生まれた息子)はマカレに残り、アンベ・ナ・アティは川べりで仕事、プアンは昼寝。昼食にタリキ(パパイヤ)のタマラサン(香辛料の一種)煮と鶏のスープをご馳走になる。バナナの種類について聞く。妻はロスメン・インドラの隣のドゥリ人のところに服の仕立てを頼む。夕方、ハジがプアン・メンケンデック(県知事の父親、プアンの夫)の葬儀(1961年に挙行)の記録を持って来てくれる。貴重な資料だ。ハジによると、ジャワでは昨年、今年と続く干ばつで、飢饉がおこり、治安が悪くなっているらしい。安部公房の『他人の顔』を読了。

 

10月20日

 午前中、昨日ハジが持ってきてくれたプアン・メンケンデックの葬儀資料のタイプ打ち。午後、ケペのインド・サッカの葬儀の様子を見に行く。今日は祭宴小屋作りの続き。インド・サッカがト・パレンゲを務めていたトンコナン・バンバの南西側に作る。ケペだけでなく近隣のタンティ、ティノリン、パンロレアンなどからも200〜300人が手伝いに来る。ネ・スレーマンも来ていた。アンベ・サットンがポテ(黒ずきん)をかぶり、葬儀のペマリ(タブー)に服する役 (to maro’)を務めている。豚を1頭供犠して、共食。トンコナンのボド(北側)に村の長老たちが座っていたので、話を聞く。ガウレンバンも来ていて、アルック(宗教)とアダット(慣習)の話になる。夜、プアン・メンケンデックの葬儀資料のタイプ打ち再開。マリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』(註5)をぱらぱらとめくる。帰るまでに民族誌の古典を読むこと。

註5  Malinowski, Bronislaw. 1961(1922). Argonauts of the Western Pacific. E.P. Duttson & CO., INC.

 

10月21日

 朝、プアンが飼育している大きい豚が1頭、運ばれていく。サダン(セセアン郡)でおこなわれる県知事の奥さんの親戚の葬儀のためである。インド・セサよりボンチス(インゲン豆)の差し入れ。近隣の子どもたちが来て、ゴム跳びをしたり、お手玉をしたり、ケンケンや「かごめ、かごめ」をしたりして遊ぶ(写真1)。日本の子どもの遊びにそっくりだ。日本統治時代の名残だろうか。今日は一日中、プアン・メンケンデックの葬儀資料のタイプ打ち。夕方、ハジのところに灯油を買いに行ったついでに、プアン・メンケンデックの葬儀資料の疑問点などを聞く。夜、ルケがネ・ルケの代理として500ルピア借りに来る。明後日、ネ・ピアの「100日の法要」をおこなうので、コーヒー豆などを買うためだという。借金だからルケの毎月の水くみ料から差し引くことにして、100ルピアおまけして貸す。ネ・スレーマンにもタバコ代100ルピアあげる。

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写真1 子供たちの遊び。「かごめ、かごめ」にそっくり

 

10月22日

 朝、プアン・メンケンデックの系譜の整理。昼、マカレから帰ってきた妻が小林敏君(大学学部時代の友人)からの手紙を受け取ってくる。マンディに行くが、水がほとんどない。午後、返事を書く。熱帯の自然について、トラジャの歴史について考えていることを書く(小林君は歴史学専攻だ)。夕方までかかる。マカレから豚肉が届く。昨日プアンが県知事夫人の親戚の葬儀に提供した豚のおすそ分けだ。ネ・スレーマンも豚の世話をしたということで分け前にあずかった。こうした肉の分配をめぐるミクロな政治経済学はトラジャの儀礼の重要な研究テーマである。最近、猫のカンカンがなんとなく元気がない。

 

10月23日

 朝、9時半起床。トラジャの村でこんな時間に起きるのは決まり悪い。今日は日曜日なので、トラジャ教会ミナンガ支部の鐘の音が聞こえてくる。アンベ・ナ・アティが5人ほど連れて、先日植えたチェンケ(クローブ)に水をやりに来る。午後からランダナンのガウレンバン宅へ。彼のところに行くといつも気分が悪くなる。その陰気な性格、彼の家族のけちで粗野なところ。仕事だからと割り切るほかはない。夜、ネ・ルケの家で、キリスト教徒になったネ・ピアの「100日の法要」がおこなわれる。トラジャのキリスト教徒の理解では、天国に入れてもらって神様(Puang Matua)に感謝するということらしい。フランツが牧師代わりに来て、近隣者が集まって祈る。そのあとナンカ(ジャックフルーツ)の竹筒料理とご飯を食べる。食後、生前に録音していたネ・ピアの笛のテープを聞かせる(註6)。ネ・ルケが陰で泣いていた。彼女はネ・ピアが死んでからよく泣くようになった。

註6 第7回1月22日参照。

 

10月24日

 一日中、家で仕事。プアン・メンケンデックの葬儀資料の整理。そこにうかがえるプアン・ブロ(註7)とその家族のカンドーラ村(ティノリン村の北東に隣接)における権力者ぶり。「葬儀の政治学」のテーマだ。猫のカンカンの体温を測ると40度前後あった。猫の平熱は何度なのかわからないが、少し熱があるのかもしれない。

註7 プアン・メンケンデックの第1妻。因みにプアン・ミナンガは第3妻。わが師プアン・ガウレンバンはプアン・ブロの娘と結婚。

 

10月25日

 朝、妻に散髪してもらう。そのあとマンディ。昼近く、マカレへ。郵便局に行ったあと、市場のそばのいつものワルンで鶏の唐揚げとスープの昼食。ウィスマ・ヤニに寄ると、在インドネシア日本大使と前田さんは明日夕方トラジャ入りだと教えてくれた。インド・ナ・ライのところに仕立ててもらった妻のトラジャ服を取りに行く。大使にコーヒーをおみやげにあげようと思っていると言うと、アンベ・ナ・アティがコーヒーを入れるための竹筒をくれた。ミナンガでは小学校に猿回しが来たらしい。近所の子どもたちは見に行ったようだ。見物料は25ルピア。夕方、プアン・メンケンデックの葬儀資料のタイプ打ちの続き。夜、スライドの整理。

 

10月26日

 大使と前田さんが来るというので、朝から家を掃除したりしてそわそわ。タンティのアンベ・ソ・アリックの家で葬式があると聞き、見に行く。午後2時頃引き揚げて、大使と前田さんを迎えるためにマカレの県知事宿舎で待機していたが、彼らのトラジャ行きは取りやめになったという連絡が入る。県知事夫妻もいろいろと計画していたようだが、拍子抜けだ。マカレでは干ばつで水の確保が大変らしい。県知事宿舎の井戸が涸れ、車で水を取りに行っているという。ランテパオでは水売りも現れているらしい。県知事夫人から手作りのケーキをもらってミナンガに帰る。

 

10月27日

 また、朝寝坊。9時半起床。しばらくボーとしていたが、タンティの葬式の続きを見に行く。今日は「葬送」(miaa)で、遺体をバンバにあるリアン(壁龕墓)に入れる日だった。12時過ぎに現地に着いたときには、遺体はすでにリアンのなかに納まっていて、会葬者が供犠した豚の肉やご飯などを木の葉(バナナの葉を使うのはタブー)のうえにのせて共食していた。この風景はなんとなく沖縄の清明祭(墓前の共食)を想起させる。帰路、ベルギー人の神父にばったり会う。ヨーロッパ人とトラジャについて話すのは面白い。トラジャ人のキリスト教理解についていつか彼に聞いてみたいと思う。

 

10月28日

 メバリの市場の日。雨が降らないせいか、野菜が少ない。ピーナツの値段も上がっている。ハジの家に寄って、シラナンの葬式の予定を聞く。また、プアン・メンケンデックの葬儀資料について疑問点を尋ねる。昼寝後、マンディ。プアンの井戸は水が少なかったので、ペブンカンガンという別の井戸に行く。こちらはまだ水量も多く、水もきれいだった。夜、UI(インドネシア大学)、石川栄吉先生、大学院の同級生冨尾賢太郎君に手紙を書く。石油ランプの調子がよくない。

 

10月29日

 朝、マカレの郵便局。昨夜書いた手紙に加え、ピーター・ヒル(昨年トラジャで会ったオーストラリア人)にエアログラムを出す。親父と吉田さんからの手紙を受け取る。セセアン郡ボリ村でマブア(神祭)があると聞き、慣習保存会代表のキラさんを訪ね、詳細を聞く。マブアのなかでもマブア・カサレ(ma’bua’kasalle 大きなマブア)と呼ばれる大がかりな儀礼のようだ。昨年からの続きだという。儀礼の全体を追うのは不可能だろうが、明日にでも様子を見に行こうと思う。市場のワルンで鶏スープの昼食。続いて、ランダナンのガウレンバン宅へ行き、口碑伝承のタイプ打ちの作業。現在66枚目、あと30枚。夕方、久しぶりに雨が降る。

 

10月30日

 マブア・カサレ儀礼を見にボリ村のカンプン・デリへ行く。パンリから8キロ歩く。カンプン・デリの6つのトンコナンによる共同の儀礼で、広場に櫓が建てられた舞台がしつらえられていた。今日は「マムレ」(mamule 語義不詳)と呼ばれる儀礼がおこなわれ、水牛が5頭供犠されたらしい。自称社会科学者のニョニャ・ロバーツが来ていて、今回はフランス人観光客をカメラマンとして連れていた。夜はスロ・テドン(sulo tedong 水牛のたいまつ)と呼ばれる儀礼がおこなわれた。たいまつを担いで櫓のまわりを回る儀礼である(写真2)。近くの小学校の先生の家に泊めてもらう。

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写真2 スロ・テドン(sulo tedong)。たいまつを担いで櫓のまわりを回る

 

10月31日

 マブア・カサレ儀礼を見る。今日は「祈祷」(masinngi’) と呼ばれる日。櫓からト・ミナア祭司たちが鈴を振りながら祈祷を唱える(写真3)。地上の祈祷を受ける側にはロタン(籐)と布が垂らされている。あたかも天の声を聞くかのように人びとは祈祷を受ける(写真4)。この儀礼を済ませると個人もトンコナンも名誉ある名前に改名できるという。稲や紙幣が富のシンボルとして使われている(写真5)。こうした儀礼を仕切るのはト・ブラケと呼ばれる祭司で、両性具有者と考えられている(写真6)。夕方、残りの水牛1頭を供犠。明日は「アナック・ダラ」の儀礼があるというのでもう1泊することにする。

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写真3 櫓のうえで鈴を振りながら祈祷を唱える

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写真4 祈祷を受ける

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写真5 稲や紙幣が富のシンボルとして使われている

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写真6 ト・ブラケ祭司。両性具有者だと考えられている

 

11月1日

 アナック・ダラというのは、4本の竹を組み周囲にサトウヤシの若い葉やさまざまな植物の葉をまきつけたものである(写真7)。アナック・ダラとはもともと「処女」の意である。トンコナン・ランテを皮切りに、ト・ブラケが「清浄にする」儀礼をおこなっていく。とても複雑な儀礼で、簡単には理解できない。この儀礼の中心的テーマは新しい儀礼的な地位=新しい名前を得るための「死と再生」であると思われる(写真8)。12時頃まで儀礼を見学したあと、パンリまで歩き、1時間くらいミニバスを待って、ランテパオに戻る。ミナンガに帰ったのは夕方5時過ぎ。マンディ。久しぶりにわが家でくつろぐ。

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写真7 アナック・ダラ

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写真8 死と再生?

 

※次回は2/8日(火)更新予定です。

 


堀研のトラジャ・スケッチ

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儀礼を見物する女たち

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